がんの検査に行ってきた

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つい最近がんで闘病生活をした親戚がしきりに心配し、「一度がん検査を受けたほうがよい」というので

私の体調をおもんぱかってくれる彼らに安心していただく為に

かねてから言っていたしこりの検査に行ってきました。

検査を受けるまでも無く、左胸のしこりは見つけられなくなっていたのだが

マンモとエコー検査をうけてもやっぱりきれいに何にもなくなっていました。

おととしの検診データあったのでそこと見比べても貰ったのだけれど

まったくなにも変化なし。でした。

一体何だったんだろう。

「タヒボ茶」のおかげか。

「信仰」のおかげか。

そもそも「タヒボ茶」の存在と効能もRAPTブログから得たものだったから

これも信仰のおかげと言えそうです。

しかし、本当に私のまわりにも「がん」と言われた人

「がん」治療を受けて今闘病生活を送っている人、

そして、余命宣告を受けて余命を全うしようと頑張っている人

そんな人々が多くなってきた。

それこそここ1~2年のお話。

そして

「真面目な人ほどガンと診断されている」

強烈なヘビースモーカーや

食生活をなんにも気にしていない人

そんな人に「オレがんだったわ」

と告白されたことが無い。

たばこを吸わない人、自分で無農薬栽培した野菜を食べている人、

今まで健康に何の症状も違和感もなく暮らしてきた人

そんな人が「がん検診」を受けてとつぜん「がん」と宣告されているのだ。

私のまわりの「がん」患者は実にそんな人ばかりである。

「がん患者」の割合は今や「5人に1人」とされている。

本当にがんなのか?何か身体の中に「ふきでもの」みたいなものが出来ているだけではないのか?

ちなみに私は15年ほど昔から「胆のう」に「ポリープ」をぶら下げているw

そんな類似したものが大きくなると「がん」と診断されたりするのではないか?

「がん細胞」は日々沸いてでて免疫細胞が食べて殺してくれるという。

「がん細胞」は熱に弱く、常に熱い血液が循環している「心臓」にがんはでないという。

「がん」ができると「抗がん剤」を投与するが、この「抗がん剤」は免疫細胞を破壊する。

これでは治るものも治らんのではないか?

しかも「抗がん剤治療」を受けるとしばらくは免疫がもどらず体調もひどく悪いと言う。

たとえ「がんを切除」してもその副作用にひどく悩むそうだ。

免疫がもどらなければ「再発」と言われても仕方が無いのではないか?

そして「抗がん剤」を投与された彼らが言うには「抗がん剤」を投与されると

「骨の芯から冷える」のだそうだ。

いままで冷え性とは無関係の人でも「無性に寒い。身体が冷えてしょうがない」という。

身体の熱が奪い去られるのならば「熱に弱い」とされる「がん細胞」にはもってこいの環境だろう。

しかも、この「抗がん剤」驚くべきことにその副作用に

「がん」

が記載されていると言うのだ。

この矛盾だらけの「がん治療」、

いざ「がん」と宣告されたとき、貴方はどういう選択をするのだろうか?

この矛盾に疑問を抱きつつも「医者の言うとおり」に治療をうけるのだろうか?

私は長年「原因不明の症状」に悩まされ医者を頼り、色々な病院へ行き、検査を受けたがその医者の目の前で「ヒザ」が反り返り、両手で自分の体重をやっとのことで支えて歩いている人間がいるにも係らず「検査結果が世の基準でいう異常」が見られないと「なんとも無い」とそのまま家に帰す医者がほとんどだった。
必死に色々しらべてくれてそれでも結果がでず「すみませんわかりません、異常があるのはわかるのですが・・・・」と言ってくれた医者はたった2人。そのうち1名はもともと病院以外でも付き合いのある人だったので数にいれずにするとたった1人。ひどい時にはたいして調べもせず「精神科」を紹介しますよwと、「薄笑い」すら浮かべてのたまった医者が1人。大学病院の入院精密検査でも多少の症状の異常はみられたが、通り一遍の検査で「異常値」が出なかったのでただ「安静に」と言われ退院させられた。

このように医者も人の子、数多く受診する患者など一人一人を本当に親身に思ってくれる人はほぼ皆無なのだ。

そんな人たちに、ただ「彼らが医者だから」と安易に貴方の命を預けてよいものだろうか?

いま一度この記事を提示します。

RAPT×読者対談<第114弾>癌という病気は存在しない。(前編)
RAPT×読者対談<第115弾>癌という病気は存在しない。(後編)

善良な人々が泣いて暮らすことがなくなりますように。

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