自分の幸せに何故か罪悪感を持ってしまう方へ

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『どういうこと?幸せの罪悪感?』

ピンとくる人、すぐに共感できる人は少ないかもしれないね。

私がずっと持ってたものだったし、私の周りにいた人の悩みも

実はコレだった。ていうのがあって。それがコレ。

自分が満たされると、何か自分が楽しい事してたり

幸せを感じると自分の心の奥でコレが見てる。「罪悪感」

「自分が満たされていいんだろうか?」「今私は良い思いしてるけれど正しいことだろうか?」と

「自分の幸せのせいで誰かが不幸になってるのでは?周りの人が自分のせいで迷惑してるのでは?」

『そんなの考えたら素直に自分の幸せを楽しめないじゃない。』

実際に人を不幸にして、自分の利益を追求してる人は別ね。そういう人は最初から罪悪感なんか持たないし、持ったらやらないから。そもそもそんな人はこのブログ読んでない前提ね。

例えば、今の世代の人は分からないけど私の小中高校の時代の成績のつけ方で「相対評価」っていうのがあって、五段階評価なら、その学年その学級の何割がAで、何割がBで・・・・・・ていうのがあったわけですよ。みんな頑張ってててAとかBとかにつけてあげたいのにCもDもEもつけなきゃならない。誰かにAをつけた分、Bに落とされる子もいたわけね。

『自分の好評価の影で泣く人がいるわけだ。』

学校なんかだと人数が多いからあからさまに敵意の対象にならない限り気づきにくいんだけど、これが家庭にあったりすると
もうイヤでも光と影を見させられるわけ。

『ああ、よくあるお姉ちゃんは出来がいいのに弟のアンタはダメだの出来損ないだのせめられちゃったり』

親は悪意無く弟に発破かけようと思って言ってただけかもしれないけど、弟の努力とかジレンマとか見てないから弟に罪の意識(劣等感とかetc.)が芽生えたりするんだよね。

弟の方は劣等感もってもそんな親だからと諦めたり、自分がもっと頑張って挽回するとか、環境変えるとかで吹っ切れたりできるし、本人もその劣等感は認識してるから自分でどうとでもできる。

問題はお姉ちゃんの方。
弟よりめちゃくちゃ努力してその評価もらってるならたぶん素直に誇れるからいいんだけど。そうでない場合、何の努力も苦労もなく優等生である場合は、弟の努力とかジレンマとか落胆が見えると罪悪感が生まれることがある。

『自分のためにあの子は怒られてる?って思っちゃうってこと?』

そこまではっきり分かるのはまれじゃないかな。本当に一瞬、ちょっと気分悪くなるくらい。「あ、おとうとが怒られてる」てよぎる。

お姉ちゃんのそれまでの育てられ方、扱われ方にもよるんだけど、こういう早熟な子っていうのは大体ちっちゃい頃から「良い子ちゃん」が多いのね。だから小さい時からちょっとずつそれに犯されるわけさ。これがねーたち悪いんだ。
さらにそんな「良い子ちゃん」て親から、親戚から期待をかけられるでしょ?無意識に良い子になろうと努力しちゃう。
社会でもそれは反映されちゃうんですよ。

やればやるほど、自分が良い子であればあるほど先生の評価は高いから頑張るんだけど、周囲(同級生、友達)からは評価されない。どころか妬みや負の感情を受けちゃう。

『あれ?こうなると良く聞くお話』

だね^^;
でここからいくつかのパターンにわかれる。
 ・自分を下げて適当にまわりにあわせるようになる。
 ・さらに努力して、エリート街道まっしぐら。
 ・よい子やーめた。ってもう自分のしたかったことしま
  くる。
でもどのパターンに行っても、自分が満たされれば満たされるほど無意識にすりこまれた罪の意識に苛まれる。
満たされていいはずなのになんか違う、こうじゃない、自分がやりたいのはこうじゃない。何が違うのか分からない。

『なんか地獄・・・』

実際地獄。
もう、既存の宗教やカルトの思うツボ。
悪魔も付け入り放題w脳にささやいてくる。
「お前が幸せになると皆不幸になる。お前がでしゃばると皆に迷惑。お前がいると社会の悪だ、氏ね氏ね氏ね」
「お前を敵視する人間たちを殺せ」
ほんと、好き放題言ってくるw

『本当に本人わからないの?わかりそうなもんだけど』

「自分が幸せだと他の人がそのぶん不幸なんじゃないか」
っていう、意識はめっちゃあるよwそこは自覚する。

『それがわかるなら・・・・・・?アレ?あ”・・・・・・』

「きづいた?もう悪魔の手の中。自分がこの世にいなければ皆救われるwもしくは、自分を認めないこの世の中なんて、人間なんて無くなっちゃえw」
『「えいっ!!」』

それで、救えなかった若い命があった。3年前自殺した。すごく優しい子だったのにね。

『なんで救えなかったの!自分も同じ思いしてたのに、ずっと死ねって言われてて、それが悪魔のささやきだってきづいたんでしょ?』

「私が悪魔のささやきのからくりに気付いた時にはもう、私はその子と連絡とれなかったし、例え教えられたとしても自分が意識してないものを人に言われても分からない。人に人は救えない、自分で悟るしかない。」

『そんな・・・・・・』

「それに、<自分が持つことへの罪悪感>が罪だとは自分ではわからなかったんだよ。私がこれを悟れたのは本物の神様に罪を洗い出して何個目かの、見えない油汚れみたいなものだったから。他の汚れがとれないと見えなかった、ずっと劣等感だと思ってたんだから。」

「見えるキズはないんだもん。その子の家、ごく普通の家庭環境で虐待もないし、両親も普通、彼らなりにその子を愛してた。他人から見ても何の違和感もない両親。」

「自分の中の違和感(罪)は自分で悟るしかない、無意識の罪は本当の神様じゃなきゃ照らせない。だから間に合ううちに知って欲しい、たどりついて欲しい。本当の神様とこの世の真実に。そこから自分の違和感を見つけて欲しい。」

『そうか、それが動機でこのブログ書いてるんだ。でもこれじゃ新たな新興宗教の勧誘だと思われない?』

「リスクはあるよね。でも、そういう人は全部見てから判断して欲しい。
これだけ、小さいブログに辿りつくのは、偶然じゃないと思う。
そして、宗教の勧誘だと思う人はたぶん読まないw」

「あなたがどうか救いと真実にたどり着きますように」
→RAPT新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

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