どうもASINIです。
昨日ちょっと熱くなっちゃって後半重めになっちゃったので
今日は雑談しちゃいましょう。
ASINIは造り主である神様(ヤハウェ)を信仰し、主であるキリスト様を
愛するひつじ生活をはじめました。
はじめたばかりなのでまだまだひよっこですw
単純に「キリスト教」と私が言ってないのは今、世にある「キリスト教」
この教理や教え、に幼い頃から「??」っとなっていて、信じるどころか
そっぽを向き続けてきたからです。仏教もキリスト教もたくさんの宗派や
考え方があり、中には正しい所もあるかもしれませんが、皆さん「自分が
正しく他が邪教と言い張る」のでさっぱりわかりませんw
だけど、RAPTさん この方の話は本当、真実だって思った。
RAPTさんを知って真実を知り、聖書を読み、聖書の正しい知識・解釈を知って、今の信仰があります。
その前までは仏教や神道の世界観に親しみを持ち、勉強したりもしていた
ことがあります。ただ、やっぱり信仰までには至りませんでした。
どの信仰を選ぶのかは貴方の選択次第ですが、どうか貴方が真実に導かれ
救われますように。
『前置き長いわ!』
おっとごめん、大事なことだったので。では今日の本題。
ズバリ「割礼」について。
割礼と言えば一番有名なのは「世のキリスト教」の「男子割礼」ですよね。
男性には実はちょっと気になってる方もいるんじゃないかしら?と。
ちなみに私が読んだ記事によると、アメリカでの男子割礼、
新生児の約半数が生まれた病院で割礼を受けているそうです。
割礼をしている人はよっぽど敬虔なクリスチャンなのかしら?
と思って聞いてみると帰ってきた答えは、宗教面というよりも
衛生の面で割礼は受けるべき。という方がほとんどだったそう。
とは言え、割礼をしている人はまだいるみたいです。
---では、キリスト教の基本 神様の本 「聖書」によると---
ローマの信徒への手紙 2.17-2.29
ユダヤ人と律法
ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をすべきかをわきまえています。
また、律法の中に、知識と真理が具体的に示されていると考え、盲人の案内者、闇の中にいる者の光、無知な者の導き手、未熟な者の教師であると自負しています。それならば、あなたは他人に教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行なうのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮(あなど)っている。「あなたたちのせいで、神の名は異邦人の中で汚されている」と書いてあるとおりです。あなたが受けた割礼も、律法を守ればこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じです。だから、割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けた者と見なされるのではないですか。そして、体に割礼を受けていなくても律法を守るものが、あなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施(ほどこ)された外見上の割礼が割礼ではありません。
内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく”霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。
ローマの信徒への手紙 3.21-3.31
信仰による義
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられた神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖(あがな)いの業(わざ)を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償(つぐな)う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えられるからです。それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。
この「ローマの信徒への手紙」を書いたのは、キリストの12使徒である
パウロで、異邦人つまりユダヤ人以外の人にキリストの福音を
伝えた方です。信仰を邪魔したい人たちが紛れ込み、異邦人に割礼を施せ
と騒ぎを起こした事によるこの内容です。律法とはキリストが現れる
前の時代、旧約聖書の時代にモーセが神様から受けて設けたという
「モーセの十戒」です。ユダヤ人の掟です。
「体の割礼は必要ない、信仰による心の割礼を義とする」
これは彼一人が勝手に言っているものではありません。
12使徒はキリストの弟子です。
この人たちが言っていることが正しいはずです、なのに、
アメリカまで伝わったキリスト教で割礼が施されていたんでしょうねぇ?
私はこういう変な細かいところが気になってしまうんですね^^;
信仰を邪魔したい人たち、信仰をズラしたい人たちが所々混じっているのが
今の「世のキリスト教」です。積もり積もって今じゃこんな事件も
起きちゃってます。→RAPT悪魔崇拝はあるのか
真の信仰をしたいと思い始めた男性のみなさん。安心してください。
信仰目的での体の割礼は必要ありませんよ^^